東京家庭裁判所 昭和48年(家)10572号 審判 1974年11月01日
申立人 小山正一(仮名)
事件本人 小山綾子(仮名) 昭三三・五・三生
主文
事件本人(未成年者)小山綾子の後見人として本籍岡山県岡山市○○番○地住所東京都世田谷区○○○丁目○番○号小山規子を選任する。
理由
一、申立の趣旨及び実情
事件本人は昭和三三年五月三日出生の未成年者であるところ、唯一の親権者たる父親の小山厳が昭和四八年八月一日死亡したので、事件本人の監護教育のためその後見人として申立人を選任するよう求める。
二、当裁判所の判断
筆頭者小山厳、同野田幸雄、同小山正一、同小山武彦、の各戸籍謄本、当庁調査官仲地章の昭和四八年一〇月三一日付調査報告書、事件本人にかかる東京都○○児童相談所の児童票写および福田充代(第一ないし第三回)、事件本人(第一ないし第三回)、小山末子、大塚洋子、小山規子(第一ないし第三回)、後藤三郎、申立人、小山忍、岡本玲子、野田直子の各審問結果によると、次の各事実を認定することができる。
1 事件本人は昭和三三年五月三日父小山厳、母小山直子(現在野田直子)の二女として出生したものであること、
2 しかし、父母が昭和三七年一二月一二日調停離婚し、その際、事件本人の親権者を父として同人に引き取られ、事実上の監護養育は岡山県の前記本籍地に在住する父方の祖母小山忍(明治三四年三月一五日生)によつて行われたこと、
3 小山厳は昭和三八年七月一一日小山末子(昭和五年六月二八日生)と再婚して東京都において二人だけの生活をしていたが、小山忍は昭和三九年五月になつて事件本人を育てられないとして同人等のもとに事件本人を連れて来たため、小山末子と事件本人との同居生活が始まつたこと、ところが、小山末子には小山厳との婚姻当初から事件本人を引取つて養育する意思がなかつたうえ、神経質な性格もあつて事件本人との同居生活に耐えられなかつたため、昭和四〇年二月末子の姉で埼玉県在住の横山春子に事件本人は託したが、一年余りで春子が事件本人の養育を断わつて来たため、小山末子と事件本人の間にあつて窮した小山厳は、昭和四一年四月事件本人を東京都杉並区○○養護施設「○○園」(東京都より委託される満三歳から一八歳までの女児のみを養護する施設)に預けるに至つたこと、
4 事件本人はそれ以来現在に至るまで同園において養護され、現在東京○○高等学校一年に在学中であるが、この間、父小山厳は同園に足しげく事件本人を訪ね、その成長に気を配り、ただ妻末子に遠慮して、できれば○○園に入園したままで高校まで卒業させてほしい旨の意向を披瀝していたものであるが、小山末子は右入園以後事件本人を同園に訪れたことは一、二度位しかなく、かかる養護施設の園児にとつて必要な夏休み等の休暇時期に数日ないし一週間家庭に帰るいわゆる帰省をさせることも一度もなく、かえつて末子の実姉大塚洋子方でそれを代替してもらう事態であつたこと、ようやく昭和四七年八月になつて、伊東に小山厳、未子、事件本人三人そろつて海水浴に出かけ二泊三日の宿泊生活を過したが、小山厳が昭和四八年八月一日死亡し、再度その宿泊生活を持つこともできなかつたこと、
5 当裁判所は、事件本人の後見人選任につき、ともに後見人就任ないし監護を申出ている申立人、小山忍、岡本玲子、小山規子等の父方親族と小山末子、大塚洋子の継母方親族のいずれのもとでの生活が事件本人に適するかを確認するため、幼稚園時期に一時いたのみで長く離れて生活体験の薄い岡山での生活を体験させるために昭和四八年一二月末から昭和四九年一月上旬にかけて祖母小山忍方を中心とした岡山での生活を経験させた結果、事件本人は今後も東京でしかも「○○園」での生活を希望したため、東京都○○児童相談所との連けいのもとに前記のとおり○○園に居住して○○高等学校に進学することになつたところ、現在事件本人は、今後も○○園での生活を一番希望するけれども、それが年齢あるいは施設の実情からみて無理だということであれば、少なくとも東京での生活ができる小山規子か小山末子のいずれかのもとでの生活を希望し、そのうち、どちらかといえば小山規子の方が好ましいと考えていること、
6 小山規子(昭和九年一月二八日生)は前記のとおり父方の叔母にあたり、昭和三九年上京し会社勤務を続け、現在○○開発株式会社に役員付総務として勤務し月収約一〇万円を得、結婚歴はなく、右上京以来現住所の田中(会社技師)方に間借りして同人家族と家族同然の生活を送つてきており、その家族が皆よい人物ばかりなので、事件本人を引取つた場合も右田中方で同居できるようになればよいと考えるが、間借部屋の広さとか事件本人の希望等から、自分と二人だけの居住場所を確保する必要がある場合は、いつでもそれに応じられる体制にあり、その際前記岡山の親族からも十分の援助が期待できるとしていること、
7 小山末子は夫小山厳死亡後、同人と共同生活してきた現住所の公団住宅に独り居住し、夫厳の預金二〇〇万円余、夫厳死亡による死亡退職金、弔慰金あわせて金五〇〇万円余を保管し、なお夫厳との共有にかかる横浜市所在のマンションを賃貸して管理し、他方夫厳には先妻野田直子との間に事件本人のほかに野田順子(昭和三二年三月五日生)があるところ、右夫厳の遺産ないし遺産に準ずる物および岡山市の本籍地所在で現在小山忍が居住し、先祖伝来の家屋敷であつてしかも夫厳所有名義である不動産については、昭和四八年八月二五日付の夫厳の自筆証書遺言形式の書面の趣旨を体し、適当な遺産配分をすべきであると考えており、そして今後の事件本人の養育について、自分が引取り養育する方法ももちろん含めて、基本的には事件本人の意思を尊重する形で決めていきたいと考えていること、
以上認定事実によれば事件本人の後見人としては小山規子を選任するのが相当である。
なお、事件本人の後見人候補者としては、小山規子のほかに申立人、小山忍、岡本玲子と小山末子、大塚洋子とが、それぞれ後見人ないし監護者になることを申出ており、しかも前四者と後二者との間において互に不信感から対立状態を呈しているのであるが、右後見人の選任は、当裁判所が一年余にわたり事件本人の利益を中心として調整をはかつた結果によるものであることを考慮し、今後は小山規子の事件本人の監護ならびにその財産管理につき右関係者が互に協力し合つていくことを特に望むものである。
よつて主文のとおり審判する。
(家事審判官 渡瀬勲)